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| Vol.11 2016年6月14日 そもそも旅とは?旅とはそもそも自分の日常の行動範囲の外に出ること。今自分が行動しているエリアから外へ出るということは未知の世界に入ることである。そして、未知の世界へのあこがれから人は旅に出る。 春旅シーズン。新幹線をうまく利用し、無駄な行程を省いて西へ旅に出た。ただ、西へ向かって列車にゆられて、さすらうように旅を続ける。そこに日常のバタバタ感はない。 旅行とは、何らかの目的があっていくもの。観光目的であったり、グルメであったり…仕事の関係上、取引先へ向かうこともある。観光旅行、グルメ旅行、買い物旅行、ビジネス旅行…そこには明確な目的がある。目的のある旅は旅行である。 気まぐれ旅は旅行とは違い、明確な目的がない。とりあえず向かう方向で、どこに行こうか?そのためにどこに宿泊するのがいいのか?そのとき思いついたままに行動すればいい。 旅行をする人たちの言い分目的のない旅など無駄だというのが彼らの言い分。確かに、目的がないまま気分次第で行動をすると痛い目に合うことは多い。で、痛い目に合わないためにいろいろなプランを選ぶわけだ。グルメツアーに参加すれば、食べることのハズレはない。観光ツアーに参加すれば、見どころな観光地を楽しむことができる。 わざわざバックパッカーのような旅をすると言うことに何の意味があるのか理解できないようである。彼らはホテルや旅館に泊まり、用意された料理に舌鼓を打ち、観光地をあちこち巡り…それはそれでいいことなんだけど、「ああ、よかったな。」とか「楽しかったな。」だけで終わってしまう。 確かにバックパッカーのように世界を旅することは、だれにでもできることではない。また、外国を旅することは危険が多く、実際に行方不明になったり、遺体で発見されたりすることもある。だからと言って、出来合いの旅行プランで満足しているのはもったいない。国内を旅するなら、外国ほど危険性はない。まずは国内から気まぐれにバックパッカーのように旅してみるのがいいと思う。 気まぐれ旅をする意味今回はまず、四国へ向かって瀬戸内海を渡るとこまでは行った。そこからどうするか?伊予路に向かうか?徳島方面か?思い浮かんだのは大歩危小歩危へ行こうと阿波池田行きの列車に乗った。高知方面の列車がないなとそのまま徳島方面に向かった。まさにとっさの判断で阿波池田より一つ前の駅で徳島行きの列車に乗り換えた。こうして行ったことのない所を楽しむことができた。ただ飲んだり食べたりで思いのほか金がかかった。 そんなわけで、次の旅はどこへ行ってどうするかは決めず、広島まで新幹線で行き、そこからひたすら西へ向かい、途中で予定を立てながら移動していた。山陽路は勝手知りたるで、待ち時間の間にスーパーに行き、買い物を済ませると言った感じで、無駄な出費をなくすことができた。旅は出費がかさむもの。それがまた出来合いのパック旅行に頼る元となる。 とは言うものの、飛び込みでネットカフェに入ると小倉の場合とは勝手が違い、5時間パックで深夜には出なければならない結果になり、駅が開くまであちこちブラつかなければならなくなる。晴れならいいのだが、雨が降ると何とも言いがたい。 始発からの出発ということで、博多から長崎までは順調に進む。夜行で到着する時間では、途中で足止め食らうことしばしば。それぐらい長崎本線は普通列車の本数が少ない。ただ、気まぐれにさすらうなら普通列車でいい。気がつけば長崎に着いて小雨の中、長崎の街をブラブラ。そのまま佐世保も散策しようと佐世保へ向かう。 佐世保もサイトの地図更新の際に駅から歩いて中心街に行けることを発見。そのまま駅から歩いて街を散策。佐世保から戻る途中、博多に戻るか考えると、そのまま熊本に行った方がいいと考えつき熊本へ向かった。久留米で降りるとスーパーがなく、それで大牟田まで行ってスーパーを見つけて買い物。今回の旅では、スーパーで食材を買いそろえ、朝食を作って旅の途中で食べると言ったぐあいで、車窓を眺めながら飲んで食べてゆっくり流れる時間を楽しんだ。 熊本に着き、ネットカフェで一夜過ごそうと調べると駅からは遠かったので、そのまま市電に乗り近くまで移動。今度は12時間たっぷり時間をとったので、ブースでゆったり、そして球磨川沿いをさかのぼる旅を考案していた。ただ、宮崎まで回ると遅くなるということで吉松から引っ返そうと思っていたわけである。 次の日、吉松までの直通の「いさぶろう」に乗る。ただ、この列車、本当の一部だけ自由席で実質全車指定に近い状態。で、指定券を取る。球磨川沿いを進んでいくうちにそのまま吉松から宮崎に向かい、大分で宿を取ろうと思う。 宮崎から大分まではさすがに時間がかかり、この夜は大分に着くとすぐに買い物に行き、簡易ホテルにチェックインした。カプセルホテル形式とは言え、ちゃんとベッドも机もPCも設置してあった。大分からは始発で出発する必要がないので、ゆっくりコーヒーを飲んだり、シャワーコーナーでシャワーを浴びたりできた。 小倉から始発で来る場合に比べて早い時間に出発できるので、湯布院で風呂に入ろうと思えば入れるだけの時間はあった。そもそもゆっくり湯につかることがなかったし、大分に着いたのもギリギリで別府の湯に入ることもできなかったもので、ここは湯布院の湯にゆっくり浸かって一休み。 帰りは最終の「こだま」で帰るから時間は十分。唐津まで足を伸ばし、一つ手前で降りた。考えてみれば、天神から唐津方面には行ったことがなかった。思いつきで計画を変えたり、もともと計画もなく、思いつきで旅をしたりした結果が今まで行ったことのない所にも行くことができた。 この旅で、博多がもはや九州のみならず、アジアの交差点になっているという感じを受けたと同時に、街の人たちもある種警戒しているような所もある。コンビニで買い物をしたついでにトイレを借りようとして断られてしまった。 一方、熊本や大分はそう言う部分ではのんびりしている感じもあった。数日後、熊本から大分にかけての地震で、あちこち寸断されてかつての旅ルートも行けなくなってしまった。旅先の風景が過去のものになると言ったことも起こりうるということを思い知らさせれる。 だからこそ、気まぐれに風のように、自分の心に美しい里を描き続けるようなそんな旅を続けていきたいと思う。 |
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